納冨教育長は就任以来、区内全ての学校に出向き、子どもたちに接し、現場と密接に連携をとり、本来の学校環境を整える職務に務めてこられ、かつバランス感覚の良さを備えた方と認識していました。
しかし、昨年の8月12日教科書採択においてキーパーソンとして決定的な選択をし、問題の多い扶桑社の歴史を杉並の中学生が使う結果となりました。このことは「なにゆえ先進的な杉並区がそのような判断を下したのか」と、全国的にも話題になりました。
4月から、この教科書を使っていくという時期に、学校現場や子どもたちへの配慮も、その教科書を選んだあとの検証も、教師、保護者などへの説明もまったくなされることなく、今まさに放り出そうとしていることは、身勝手、無責任としか言いようがありません。
辞任の理由を、自らの力量不足とし、教科書採択の一連の事柄との関係性は一貫して否定していますが、いずれにしても任期中は、職務を全うすることが長としての責任であると考えます。
加えて、任命権者である区長にも責任を問いたいと思います。任期をまっとうせずに職務を投げ出そうという人物を、教育長として選んだ責任を、区長はどのように考えておられるのでしょうか。
新教育長として推薦された井出隆安氏については、人物について論評するものではありません。しかし、石原都政のもとで、一部の都議会議員に煽られて日の丸君が代の職務通達などを押し付け、学校現場の教師の内心を踏みにじるばかりか、高校生に対しても間接的に圧力をかけて反発されている、指導部長の座にある方です。このような方を杉並の教育長に迎えることに、賛同することはできません。
教育基本法は第1条「教育の目的」で、「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび・・・」とうたい、第10条で「教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない」と記しています。
教育立区をめざす杉並区は、基本法にのっとった模範的な教育行政をこそ志向すべきであると考えます。
杉並・生活者ネットワーク区議団