行き先が石巻とわかったのが1週間前、何をするかもわからないまま着替え一式、雨具、などをザックに入れ、荻窪から深夜、杉並ネット、地域協議会の有志21人で出発しました。
ツアーを組み立ててくださったのは千葉にお住まいの野老さんで、ご自分の会社の車を使って、この7カ月で実に60回ボランティアで現地を訪れている方です。運転手は野老さんの会社の社員さん。その日の仕事を済ませて、そのまま深夜バスの運転をして下さいました。
まず、被害の大きかった大川小学校でお焼香をしました。川に近く海抜1メートル、すぐ後ろは山で、水が来たら一瞬でのみこまれる様子が目に浮かびました。モダンな建築でいろいろ工夫を凝らしたことを窺わせる校舎でしたが、鉄筋入りの太い柱がひんまがり、2階の床も持ち上がり津波の怖さを伝えています。この日が雨で川が増水していたこともあるのでしょうが、すぐそばが水という印象。でも、この学校が地域の避難場所だったそうです。
次に、小さい神社にある石碑を見に行きました。地震の後は津波が来るから高いところに逃げよ、ここより低いところには家を建てるな、という趣旨が書かれた石碑です。その石碑より低いところに建っていた家はみな流されていました。
その後、牡鹿(おじか)ボランティアセンターに行き、指示を受けていよいよ作業開始。午前中は女川に向かう鮫ノ浦というあたりの道路わきの瓦礫などの清掃、昼食後は少し移動して道路わきの入江の清掃でした。道路わきの建物は殆どなくなっていましたが、女川原発の鮫浦モニタリングポストの小屋だけが半壊状態で残っているのが印象的でした。野老さんからは、「ごみ1つ片づけるだけでもいいのですよ、無理せずにできることをして、とにかく現場を見て知って感じてください、それを周囲に伝えて下さい」と言われ、肩の力を抜いて楽しく活動しました。4時間くらいの労働でしたが、終えた後が予想以上にきれいになったのは嬉しいことでした。“女性が輝いているところは見慣れているけど、男性がこんなに輝いて動いているのを見るのは新鮮だった”という女性参加者の声がありました。
バスの中から見る石巻市内は廃墟となった家が建ち並び、牡鹿半島では、こんなところまで、と思う高い土地までも津波の跡がありました。ここに住む一人一人がこれからどう生活していくかを模索していること。とにかくそのことを忘れずにいようと思いました。
杉並ネット会員 田中みつ子
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