区議会第2回定例会一般質問全文
080616 小松久子
私は、区議会生活者ネットワークの一員として、学校図書館の充実について、廃プラスチックの資源化について、みどりの確保について、以上3点、質問いたします。
学校図書館の充実について
OECD経済協力開発機構が2006年に行った国際的な学習到達度調査の結果が昨年12月に発表され、日本の高校1年生の科学的リテラシー、読解力、数学的リテラシーのいずれも低下していることが大きく報道されました。低下とはいっても、あくまで国際的な比較評価ですが、特に読解力の低下の著しいことが日本の子どもの読書離れと関連しているのでは、ということは容易に推測されるところです。
そうしたなか、2007年の小学生の読書量が4年前と比較して3.5倍、中学生は2.3倍へと飛躍的に伸ばした宇都宮市の取組みを、地方紙の記事で読みました。宇都宮の子どもたちがなぜそんなに本を読むようになったのか、市教育委員会は「図書館司書を06年から全小中学校に配置し、読書活動の充実が図られた」と分析している、と記事にあります。2年間で大きな成果を挙げたことになります。
さて、杉並区は「教育は百年の計」として教育立区を掲げ、意欲的な取り組みが広く内外に伝えられています。またブックスタート事業を全国に先がけて立ち上げるなど、子どもの読書推進に力を入れてこられたことは一定の評価に値するものと思います。しかし、こと学校図書館の充実に関しては、残念ながら後れをとっていると申し上げなければなりません。杉並の学校図書館が単に「本がある部屋」、図書「室」であって、オープンスペース形式の新築校を別にして多くの場合「ふだん鍵のかかっている、だれもいない部屋」になってしまっているのは、たいへん残念であり、杉並の子どもたちにとって不幸なことです。
では、学校図書館は本来どうあったらよいのか、ということになりますが、今回私が質問にとりあげたのは、この6月は杉並区こども読書月間でもあり、学校図書館における司書の重要性を、ぜひとも区に受け止めていただきたい、と考えたからです。
私は数年前、区内のある小学校の図書館でボランティア活動をしている女性から、「学校に図書館がなくてはならないものであるように、図書館には司書がなくてはならないのに、杉並区ではそのことが認識されていない」という訴えを聞きました。その人は学校司書の資格をもち、当時地域で子どもと本を結びつける文庫活動にかかわりながら、学校での子どもと本の出合いをたすけ、また本を通した子どもの学びを支援したいと図書館活動に取り組んでいたのですが、そのような図書館司書という役割の重要性が学校側には認識されておらず、一ボランティアに過ぎないその人は、本の並び替えと整理、貸し出し・返却の受付担当を超えるような仕事には手をつけられず、意欲も情熱も空回りするばかり・・・と徒労感を訴えていました。
その後も私たちのもとには学校に司書の配置を求める声が届けられ、生活者ネットワークとしては、区内各校に専任司書を配置するよう、毎年区に予算要望してきましたが、一向にかなえられていません。
区の実施計画には学校図書館のITシステムの整備・運用が載っていますが、それを動かす「人」の配置がイメージされていないと感じます。先ごろ改定された教育ビジョン推進計画でも、事前に募集された区民意見に「専任司書の配置を」という要望が4件出されていましたが、地域の人材活用という形でしか反映されていません。
すべての子どもにとって、本と出合い、本に親しみながら成長することがその育ちを豊かなものにする、ということに異論を唱える人はいないと思います。読書は子どもの知的成長、心の成長に欠かせないものです。昨年改定された「杉並区子ども読書活動推進計画」では、「学校においては、幼稚園から高校生までの各段階に応じ、あらゆる場面で子どもが自主的に読書活動に取り組めるよう、読書の楽しさを実感させ、読書習慣を身に付けさせるとともに、文字・活字文化振興法の趣旨を踏まえ、子どもたちの言語力をはぐくんでいくため、学校図書館の充実に取り組みます」と述べられています。
学校図書館は、第一に子どもが確実に本と出合える身近な場所であり、子どもにとって心躍る場所でなければなりません。学校図書館は、本を整備して子どもの読書指導を行うだけでなく、学習全般を総合的に支えるなどの役割も担っていると考えますが、区の認識はいかがか。また教育課程の中に学校図書館はどのように位置づけられているか、まずこの2点をうかがいます。
また、先に述べた「子ども読書活動推進計画」において、区は学校図書館の充実を重点施策に挙げておられます。具体的には何を課題とし、どう充実させようとしておられるのか。おうかがいします。
97年改定の学校図書館法では12学級以上の規模の学校には司書教諭を配置することとされました。
当区では12学級未満の学校にもすでに配置されているとのことですが、この司書教諭について、3点おたずねします。1点目。その役割と、現在の設置状況はいかがか、うかがいます。
2点目。当区では図書担当教諭を各校で選任していると聞いています。その役割はどのようなものでしょうか。司書教諭と図書担当教諭のちがい、両者の関係と役割分担についておたずねします。
司書教諭が必要とされる本来の目的があるにもかかわらず、実際にはその業務にあてるだけの時間軽減などの配慮がなく、先生たちは教務の忙しさのためにその役割が果たせていない現実があります。図書館に常駐の担当者がいないため、昼休みでさえ鍵がかかっている学校が少なくない状態だということも聞きます。このような状況を区は把握しておられるでしょうか。そしてそれをどうお考えになるか、3つ目としてうかがいます。
後ほど述べるように、一部の学校では司書の資格を持つボランティアが奮闘していますが、待遇は不安定で個人の熱意に負っている状況です。校長の裁量により報酬を得てはいるものの、その校長が転任すればいつ状況が変わるとも限りません。学校司書と司書教諭は異なり、司書教諭には一教員としての任務があるので、専門職としての司書の役割を担うことは無理なのです。本来は両方とも配置されることが望ましいのですが、人事権を持つ東京都は専任司書を配置する考えがありません。そのこと自体は問題ですが、教育立区をめざす杉並として、区独自で司書配置に関する何らかの改善策に取り組むべきだと思います。見解はいかがでしょうか。
杉並の公立図書館には必ず司書が常駐しているのに、学校には専任の司書が配置されていません。先週6月13日付けの朝日新聞でも報道されましたが、「学校図書館を考える全国連絡会」という市民団体が昨年、都内の公立小中学校における学校司書など図書館指導員の配置状況について調査したところ、07年5月現在、23区中9区、30市町村中19市町で何らかの形で専任の指導員が配置されていました。非常勤職員、臨時職員、有償ボランティアなど、いずれも雇用形態は不安定で正規の職員はひとりもいませんが、専任の専門家が各校にひとりいる、ということの意味は大です。
ところでこのときの調査では杉並はゼロとされましたが、実は、有償ボランティアの形で司書の有資格者が、学校図書館を本来あるべき充実した場にしようと貢献している学校が杉並区にもあります。しかしそのことが他の学校に共有され広がっていかないのはどうしたことでしょうか。「区内の全校に専任・専門・正規の司書配置を」という要望に対し、一度に無理でも、数年かけて設置していく、現在ボランティアで活動している人の中から有資格者を専任に位置づける、司書の有資格者で学校図書館の改善に力を貸してくれる人を広く区民から募る、などできることから取り組んでいただきたいと思いますが、いかがでしょうか。区の見解をうかがいます。
ボランティアの活用は、杉並に限らず、いま学校でさかんに進められています。図書ボランティアとして本の整理や読み聞かせ活動に手を挙げる人は多く、ボランティア活動に関心のある多くの人にとって図書館の仕事は意義のあることと受け止められているのだと思います。そしてそういう人たちが現実に学校図書館の運営を支える力になっていることは確かです。けれども志のあるボランティアだけでは、学校図書館が本来の目的にそって有効に機能していくことはむずかしいといわなければなりません。ボランティアの活動がいかされるよう、その人たちをまとめ、専門的知見から指示を出し、仕事をコーディネートする責任者が必要であり、その意味でも司書は必要と考えます。見解をうかがいます。
本の廃棄・選定にも、司書は力を発揮します。図書館における図書の充実度は、購入にかける金額や本の冊数など「量」はもちろんですが、それ以上に、どんな本をどのような基準でおくのかという「質」でこそ量られるのではないでしょうか。子どもにとって、また先生たちにとって必要な本を常に配備するには司書としての専門知識が必要です。セピア色に変色した大昔のカビ臭い文学全集や、資料としてはすでに使えなくなった百科事典が貴重なスペースをふさいでいるのを見るのはつらいものです。調べ学習の支援にあたっては、常に新しい情報を積極的に取り入れて本の選定にあたることが求められ、そのさい子どもの教育課程、学校の教育方針を理解していることが前提になります。ということは、司書は他の先生たちと同じように、「職員会議に出られる」位置づけであるべきなのです。これは、後で述べるように都内のどこでも実現していませんが、たいへん重要なポイントであるということだけはここで強調しておきます。
さて、区の実施計画、教育ビジョンの学校IT化推進計画に沿って、図書館のITシステム構築に向けパソコンの全校設置が進められています。その整備状況についての質問です。データ入力やバーコードを貼る作業の進捗状況、活用状況が、学校間で相当異なっていると耳にします。ボランティアが多く作業にあたったようですが、図書の専門家でも責任者でもないため現場で混乱が生じ、学校によってはさまざまな不具合を抱えたまま、使われていないとも聞きます。地域図書館や他校の図書館とのラインはつながっているのか、日常的に活用されているのか、各校の状況を区は把握しておられるでしょうか。IT化を進めるうえでも、図書館が機能を発揮するには「人」が必要と考えますが、区の見解をうかがいます。
学校図書館と地域図書館のよりいっそうの連携も望まれます。杉並にはいま、中央図書館と昨年開館した今川図書館を含め14の区立図書館があり、授業で使用する本の団体貸し出しや調べ学習への対応、教員への資料の提供など、学校との連携が図られています。しかし中央図書館には、各校の抱える課題に対し、図書館施策を総合的に統括し補完する機関として、適切な支援がさらに求められるところです。中央図書館施策の中には学校支援担当が置かれています。ここでの役割は何でしょうか。これまで述べてきたような問題の解決に力を発揮していただきたいと思いますが、いかがでしょうか。おたずねします。
IT化の進む現代に欠かせない教育として、情報リテラシーに関して質問します。先ほど冒頭で、OECDの調査結果から科学的リテラシー、数学的リテラシーという言葉がでてきました。リテラシーとは文字の読み書き能力のことをいい、読書はその能力を磨き高める効果をもたらします。情報が洪水のようにあふれ、自分の頭でものを考えずにすんでしまいがちな現代社会にあって、膨大な情報を分析し自分に合うように使いこなす能力、すなわち「情報リテラシー」をはぐくむ教育が欠かせないものとなります。情報を読み解いて判断し、取捨選択し活用する能力を養うことは、子どものうちから始める必要があり、学校図書館で血の通った図書教育が行われていれば、その実践が期待できると考えます。区の見解をおうかがいします。
この項の最後に、つい先日ある人からいただいたお便りをご紹介します。その人も区立学校の図書館でボランティアをしてこられました。こう書かれています。「私は3年間ボランティアで学校司書を務め、たいへんやりがいのある仕事だと感じました。この3月で退きましたが、それはボランティアの立場の限界を感じたからです。良書をそろえて子どもたちに手渡すという仕事に本気で取り組みたいと考えた時、職員室で発言の機会もなく、児童の名簿も手にすることのできない身で、空回りしていく自分にもどかしい思いがしました。とりわけ、図書予算を有効に活用するには、もうすこし意見を述べたいと思いました」。子どもとコミュニケーションをとりながらの学校図書館の仕事が、時間の切り売り感覚では務まらない、奥の深いものなのだと教えられます。また不安定な形での登用がその人の能力を十分に生かせていない歯がゆさを感じます。
しかしお便りには続きがあります。「ボランティアとしては力を尽くしたと思っています。いつか、チャンスがあったらまた学校司書として勤めたいと思っています。」と締めくくられます。資格も能力も熱意もある人たちのエネルギーを投入するに足る学校図書館、そして何より、子どもたちにとっての豊かな教育に資する学校図書館の構築に、区が最大限ご尽力くださることを期待して、次の質問に移ります。
廃プラスチックの資源化について
増え続けるプラスチックごみの処理について、生活者ネットワークは「焼却は資源として循環させる方策が十分尽くされたうえでの最終選択とすべき」と考え、資源化なき安易な焼却に対しては警鐘を鳴らしてきました。杉並区が、いわゆる「杉並病」という負の経験を教訓としてリサイクルに真摯に向き合い、23区の中でも先進的に取り組んでこられたことには、敬意を表するものです。そこを出発点として、区における廃プラの今後のあり方を考えていきたいと思います。
4月1日より容器包装プラスチックを除く廃プラスチックの分別変更による「サーマルリサイクル」本格実施が始まりました。2か月経過したところですが、本格実施前と比較してごみ量はどう変化したか、またその変化を区としてはどのように分析・評価しておられるか。この2点をまずうかがいます。
集積所のようすを見ると、プラスチックが相変わらず不燃ごみとして出され、資源ごみか可燃ごみのいずれかへと分別変更になったことをまだ理解していない世帯が相当数あるのでは、と思われます。区民の周知状況について、区はどのようにとらえておられるでしょうか。分別変更に対する苦情や問い合わせ等はきているのでしょうか。あわせておたずねします。
これまでのところ、おおむね区民は区のリサイクル推進方針に賛同し、分別変更に理解を示していると思います。区は昨年来、事前準備として相当数の地域説明会を開催してこられましたが、地域の団体や市民グループも自主的に学習会をもつなどしてきました。そのような学習会に私も何度か参加しました。容器包装プラの分別は、私の住んでいる今川地区では7年前から区のモデル実験地域に指定されて経験を重ねてきていますが、区内3分の2のエリアではこの4月から分別するようになったばかりなので、まだ悩みながら試行錯誤中のようです。容器包装プラと製品プラの区別がわからなかったり、可燃か不燃かで迷ったりするケースは多くあります。
たとえば化粧品のコンパクトケース。プラマークがついているけれど鏡が貼ってある場合がよくあります。鏡はプラではないからどうするのか。このままで資源ごみに出したらどうなるのか。鏡をはがさなくてはいけないのか。それとも不燃ごみに出した方がいいのか。
またクリーニング屋で入れてくれるポリ袋はなぜプラマークがないのか。マークがなくても資源として出していいのか。マークがなければいけないなら、それはなぜなのか。あるいは、汚れたポリ袋はなぜ可燃ごみに出すのか。
ごみの分別の話はどこでも盛り上がるのですが、でも区民が一番知りたいのは、「なぜ」の部分です。「なぜそうなのか」根拠を理解して自分で判断したい、と考えるのは当然だと思います。これからは容器包装リサイクル法と容器包装リサイクル協会のことやリサイクルの仕組みについて、さらに、資源化された後の行方についても、区は区民に対し、もっと伝える努力をしていかなければならないと思います。そして焼却するプラを減らし資源化できるプラを適切に分別して、資源としての質を高めていく必要があります。このような周知・啓発について、区はどのようにすすめていこうとしておられるのか、うかがいます。
先ごろ、生活者ネットワークと連携する市民グループが、新たに廃プラの今後を考える市民団体「23区プラスチック懇談会」を発足させました。その第1回目の集会に先立ち、生活者ネットワークは23区のプラスチック資源化状況と経費負担について調査し、すべての区より回答を得ました。杉並区では容器包装プラの収集・運搬・処理に8億2500万円かかっており、清掃事業費全体に占める割合が8.7%と23区中で比較的高い値になっています。プラの資源化は必要なことですが、このように経費負担が区の財政に重くのしかかっていることは問題でもあります。プラごみそのものの発生が抑えられれば、経費は削減できるわけですし、本来プラ資源化の経費は生産者の責任において負担されるべきです。3Rの最初のR、リデュース、すなわち発生抑制と、生産者責任の追及がさらに求められるところです。区としての取組みが必要ではないでしょうか、おうかがいします。
また、プラスチックをできるだけ燃やさずに資源化していこうというとき、できる限り均一な、質のよい資源を収集することが必要と思いますがいかがでしょうか。うかがいます。
最終処分場の寿命はあと30年といわれてきましたが、50年と訂正されました。ますます、今すぐ焼却しなければならない必然性があるのかと疑問がふくらみます。また、ごみが減っているのに清掃一部事務組合の分担金が増えていることをほとんどの区民は知りませんし、まして、なぜそうなのか知る由もないでしょう。一組は23区民に対して説明責任を果たすべきです。今後家庭ごみの有料化の検討が始まるようですが、ごみ処理経費として一組にはすでに区の会計から分担金を支払っていること、そのうえで区民にさらなる負担を求めるものであることについて、区民が理解していることが前提となるべきでしょう。しかし区民の理解度は低いと思います。区としても、区民に対し、一組についての周知を図る必要があるのではないでしょうか、うかがいます。
さて、去る3月14日、特別区長会は、可燃ごみを自区内で処理しきれない区が、公平性を図るため他区のごみを引き受けている区に対し1トンあたり1,500円の負担金を支払うことで合意に達しました。「ごみ戦争決着」として新聞等でも報道されました。最大の受け入れ区となる江東区には他の区より合計2億5000万円が支払われる計算になりますが、お金で決着がつけられることに納得がいかない江東区民も多いと聞きます。江東区とかつてごみ戦争を経験し、お金ではない形での決着に至った杉並区としては、今回の区長会決定をどのように評価なさるのでしょうか。見解をうかがいます。
ところで、ごみ問題の情報誌『月刊廃棄物』の今年1月号に、プラスチック容器包装のリサイクルに取り組む首長として山田区長へのインタビュー記事が掲載されました。この項目の最後に、この記事に関連して質問いたします。
区長は、「収集から処理まで一本の線でつながっていることを考えると、隣り合う区やごみ政策の方向性が歩み寄れる区が協定を結んで、処理施設を役割分担していく方法もある。清掃工場を持っている区が先頭に立てば、『燃やすごみを減らす』という意向が反映できる。」と述べておられ、共感するものです。
ごみ減量と資源化に積極的に取り組み、かつ自区内に清掃工場を持つ杉並区こそ、まさに先頭に立って他区に呼びかけていくべきではないのでしょうか。あるいは、杉並と同様に容リ法に基づく廃プラ資源化に取り組む千代田、中央、新宿、葛飾、江戸川や、10月から全区展開を実施する練馬、中野などと連携した動きを作っていくことも可能ではないのでしょうか。
さらに区長は、「資源化を進めることで区民の手間や、分別収集の費用をかけている以上、その見返りとして不要になった工場を減らさなければならない。焼却施設が減り、埋め立てごみも減り、負担も経るという将来の利益を、分別収集にかかる費用に還元するのがふさわしい。そうしたしくみができれば、リサイクルはさらにすすむだろう。」とつづけ、焼却施設縮小論に言及されています。
杉並清掃工場の建て替えを控えて検討に入ろうというこの時期に、ある意味、大胆とも、また勇気ある発言とも取れますが、共感できるものがあります。これらの発言について、あらためて区長ご自身からお考えをうかがいたいと思います。いかがでしょうか。
生活者ネットワークは、プラスチックは「埋め立て不適」であるだけでなく「焼却不適」でもあると考えています。できるだけ燃やさず、生産者の責任において資源化されるようなしくみがつくられるよう、市民発の提案活動をさらに広げていきたいと思います。
みどりの確保について
2007年度版「みどりの実態調査」報告書が先ごろ出されました。緑被率は前回5年前の調査時に20.9%だったものが今回21.8%になり、わずか1ポイント弱ですが上昇しています。これを区の緑化政策の成果と考え評価したいと思います。ですが内訳を見ますと、草地、農地、屋上緑化が若干増えているものの、樹木被覆地が減少しています。報告書では、この減少の主な理由は、屋敷林をはじめとした住宅地内の樹木被覆地の減少によるもの、とあります。草地や農地は比較的短期間で生成することができるのに対し、屋敷林は数十年から百年の年月をかけて出来上がるものですから、ひとたびそれがなくなれば、復元させるには同じだけの時間がかかるか、もしくはもう復元できないということであり、単にみどりの消失と言う以上の、重い意味があります。
屋敷林が消失するのは、ほぼ100%、その土地が個人所有のもので相続が発生した場合といってよいでしょう。今の法制度の下では、相続税を支払うために屋敷林を含む土地を売却せざるを得ず、その土地にマンションや戸建の住宅を建てるため樹木が伐採される、という問題が繰り返されています。現にいま西荻地域で起きている、1本のケヤキの木をめぐる問題は、まさにそのような例にあたります。
先の報告書には、区の貴重木は46本指定とされていますが、そのうちの1本はすでに指定解除され、いま存続の危機にあります。この問題について、他の議員からも質問が出されましたが、生活者ネットワークとして、みどりを確実に担保することは重要と思い、一部繰り返しになりますが質問いたします。
2000年に貴重木に指定された西荻北のケヤキは、相続税の問題からその土地の所有者が最近変わり、伐採の可能性が出てきました。これを危惧し「切らないで」という声が広がり、存続を望む内容の署名が、2か月の間に8000筆以上集まったのは、この木がいかに地域の人たちから愛されてきたかを物語っています。
樹齢200年におよぶと言われる株立ちの巨樹は西荻地域のランドマークとされ、最近ではそのブロッコリーを拡大したような形から「トトロの樹」というニックネームで呼ばれています。株立ちというのは、根本から何本もの幹を立ち上がらせた樹形だそうです。
ここで、質問いたします。みどりの確保という視点から、区は「貴重木」の意味をどうとらえておられるでしょうか。また、すでに貴重木の指定が解除されはしましたが、西荻北のケヤキの価値をどのように評価しておられるか。うかがいます。
先日、8648筆の署名が地域の人々から区長に提出された場に、私も他会派の議員の方たちとともに同席いたしました。現在の所有者にはこれまで切らずに待っていただいているようですが、1本の木に対して多くの住民や議会からも党派を超えて存続の希望が出されたことを区はしっかりと受け止め、所有者にはたらきかけていただきたいと思います。そして「みどりの都市」を掲げて緑化の推進に取り組んでこられた杉並区は、この「トトロの樹」を保全するために、あらゆる可能性を追求していただきたい、その覚悟のほどをうかがって、私の質問を終わります。