何のため?教育基本法の「改正」

理解されてこなかった 現法の理念

教育基本法「改正」問題がついに衆議院で審議に入りました。自民・公明与党の提案に民主党が対案を示し、もう引き戻すことのできないところに来てしまったと感じます。

「愛国心」の表現として、自公案の「我が国と郷土を愛する態度」VS.民主の「日本を愛する心を涵養する」という文言が最大の争点とされることには、問題の本質がすりかえられたような気がしてなりません。

そもそも法改正を提唱していた人たちの、不登校やいじめ、学級崩壊などの教育現場の荒廃から少年による凶悪犯罪まで、教育基本法を変えれば問題が解決するかのような主張自体、詭弁だったのではないでしょうか。

基本法が「個人」や「個の確立」を言い過ぎるあまりに自己中心的で身勝手な子どもばかりになった、という論調は、「人格の完成」をめざした現基本法の理念を理解していなかったのでは、と疑いたくなります。

「改正」したい人たちは、子どもの未来のために教育をよくしたいというより、「国を愛すること」こそが重要だと言っているように見えます。もし「愛すること」が強調されれば、いずれ目に見える形として、「日の丸・君が代」強制の路線をさらに堂々と突き進むことになるでしょう。

教育基本法での「国家」重視は、憲法「改正」における志向と呼応すると見て間違いないと思います。今からでも、ひとりでも多くの人が「冗談じゃない、子どもは国家のためにあるんじゃない!」と声を上げなければとんでもないことになりそうです。

                             区議会議員  小松久子