それにしても、こうした政治家たちの発言だけではなく、近年政治が、ますます私たちの生活感覚から離れていくという危機感を募らせているのは、私だけだろうか?「美しい国」「やり直しのきく社会」を旗印としながら、現実には近代国家で最も貧富の格差のなかったこの国を、アメリカを追う格差社会に変化させ、「やり直しのきく社会」どころか、市場原理でおおいつくす競争社会を激化させる、自公中心の政治。あるいは「政治は生活です」「あきらめない、日本」と主唱しながら、改憲や改正教育基本法などの政策課題で、与党と全く違いの見えない民主党。
彼らには、競争社会に静かな異議申し立てをする若者たちが、「ニート」の道を選択し、若い女性たちが産まないことを選択する本当の理由が、見えないらしい。何故ならそもそも彼らには、個々に異なる人間の個性と尊厳を守る人権感覚にかけているのだから。産み、育て、介護にあけくれる生活実践者にとって当たり前のこと—人間らしい生活の確保—が、当たり前でない政治世界の閉塞状況。戦後60年、民主国家日本は今、まがり角にある。それはまた、今こそまさに生活者ネットの政治の真価が問われている時とも言える。人権に疎い国でも、生活者の健全な感覚は、草の根から政治閉塞に風穴を開けることが出来ることを、示そうではないか。今こそ、ネットの政治を広げる時なのだ。
(杉並ネット会員・東洋英和女学院大学教授:進藤久美子)
今こそ、ネットの政治を広げよう!
生活者の健全な感覚で閉塞に風穴を
「女性を産む機械にたとえた大臣が、まだ大臣でいるらしいけど、いったい日本はどうなっているの?」アメリカの友人からのメールは、数年前「産む機能を失くした女性は文明の破壊者」といった発言をした都知事が、いまだに都知事であり続けていることとあわせて、「日本社会は理解不能」と糾弾している。実際こうした一連の発言が国際社会で「理解不能」とされるのは、それが単なる女性蔑視発言ではなく、日本社会のトップに立つ政治家たちの欠落した人権感覚を象徴しているからである。