アーサー・ビナードさんが語るヒロシマ 東京生活者ネット新春の集い 講演会

詩人のアーサー・ビナード(Arthur Binard)さんが日本に来たのは22才の時。小熊秀雄の童話「焼かれた魚」の英訳をしたことをきっかけに、その後日本語で詩を書き、詩集「釣り上げては」で中原中也賞を受けました。また、日本の絵本の翻訳を数多く手がけています。

 1月31日、東京・生活者ネットワークの新春の集いで行われた講演『福は内!プルトニウムは外!』-アメリカ生まれの詩人が原子力と核開発の核心を語るーを聞きにいきました。

『言葉』に対する感覚が抜群に鋭く、表情豊かにニュアンスを使い分けて語る「ことばの達人」アーサー・ビナードさんは「詩人として、生き物としてヒロシマを語っていくことが自分の使命」と考えていると語ります。

 広島を訪れ、被爆者から話を聞いたときにその語り部は「原爆」という言葉を1度も使わなかった。彼女が使った「ピカドン」ということばが、空にきのこ雲が覆って暗くなり、閃光と爆発を身に受けた広島の人々の口から出たこと。この言葉が地球上最悪の殺戮兵器を象徴しているといいます。

 ビナードさんはまたアメリカのマンハッタン計画についても調べ、「原爆投下は戦争を終わらせるために必要だった」というメッセージのまやかしに気づきます。そして原子力の平和利用=原子量発電は、この地球上最悪の殺戮兵器の研究者や施設を維持し、さらにビジネスに発展させるためのものだったという核心にいきつきます。

(杉並・生活者ネットワーク会員 佐々木庸子)