8.15と3.11にちなみ、憲法を考える

2012年8月17日 01時29分 | カテゴリー: 環境

25条2項の理念がいつも政府と国民の念頭にあれば

映画「太陽を盗んだ男」の主演は当時30歳の沢田研二

 1945年8月15日の敗戦を受けて作られた憲法に第9条があり、戦後日本が戦死者を出さずにきたのはこの条文のおかげです。同じ憲法の第25条2項に「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」とあります。

「3.11」は改めてこの条文を社会にとり戻すよう我々に訴えています。もしこの条文を国がいつも念頭におき守っていれば、地震と津波の国の至る所に原子力発電所が建てられ、それがメルトダウンをおこし多くの人々の生活空間を破壊することにも至らなかったからです。原発だけでなく、水俣病のような公害も、貧困や格差やいじめも、この25条に書かれたことがきちんと実践されていれば、今日のように深刻な状況にはならなかったでしょう。
8月15日が不戦の誓いを日本にもたらしたように、3月11日は人命を犠牲にするエネルギー政策や経済から脱却するよう我々に訴えているように思います。しかもその精神は憲法に初めから明記してあります。

私は2011年3月11日から1か月分の朝日新聞を手元に保存していますが、政治家や学者の発言を見ると、25条の精神が人により欠落し、今なお権力を持つ人々の間で憲法が内面化されていないと感じます。広島や長崎や第五福竜丸の被爆を体験し、非核三原則を作った国だけにその事実は深刻です。チェルノブイリの時も、国は手をうたなかったのです。

中学の理科教師が原発から核物質を盗んで原爆を作るという長谷川和彦監督による1979年の映画「太陽を盗んだ男」は、今ふり返ると原発の放射能の被害を予言したようです。大江健三郎「ピンチランナー調書」には反核運動をする電力会社員が登場します。芸術家の予見と洞察に、ついに最悪の形で現実が追いついたようです。我々がやるべきことは、これ以上あやまちをくり返さぬことに尽きると思います。(杉並ネット会員  野口鎮夫)