原発事故後の時代をともに生きる—生活クラブ運動グループと新年のスタートをきりました

『原水禁署名運動の誕生』の著者 丸浜江里子さんのおはなしから原発を思う

右から2人目が丸浜さん
右から2人目が丸浜さん
「ほうしゃの雨」
4歳と6か月になる男の子が雨の中を私の方に走ってこようとした。私は「ダメダメ、おうちの中に入っていらっしゃい」と言った。すると子どもはあわてて家の中に走り帰り、「おかあさん、ほうしゃの雨だからなの」と聞いた。ほうしゃの雨、ああそうか放射能の雨のことかと合点し、笑おうとしたが笑えなくなった。・・・・・それほど神経質になる必要はないのかもしれないけれど、やっぱり私はこわい。魚屋さんの前に行って、たまには買わなければ悪いような気がしてたたずんでみるけれどそっと帰ってきてしまう。
(虎谷信子「ひととき」朝日新聞)

12月9日から始まった原発都民投票直接請求の署名活動から1か月、ちょうど折り返し点となる1月9日、杉並・生活者ネットワークもメンバーである「杉並区生活クラブ運動グループ地域協議会」の新年交流集会が開催され、昨年『原水禁署名運動の誕生』を著された杉並在住の丸浜江里子さんを講師にお話を伺いました。

丸浜さんの「ほうしゃの雨」の朗読に、昨年の原発事故後の投書かと思って聞き入っていたところ、なんと57年前、ビキニ環礁で行われた水爆実験後の朝日新聞「ひととき」欄(5月25日付)に載ったものでした。丸浜さんは、「今回の福島第一原発事故でビキニ事件のことを想い起しました」と語られました。

ビキニ事件とは、1954年3月1日にアメリカが行った水爆実験。広島原爆の1000倍の威力をもつ史上最大、最悪の実験で、爆心から160km離れた洋上で操業していた「第五福竜丸」をはじめ、多くの船舶・乗組員・積み荷が被爆しました。

なぜ、被爆地でもない漁港でもない「杉並」で広範な署名運動がおこり成功したのでしょうか。丸浜さんのお話は核心に入ります。

—杉並の人たちは、それまでの個別的・散発的・地域的な運動ではなく、統一的・全国的な運動を構想した。まず杉並区で全区的・超党派の署名運動を成功させ、全国に広げて行こうと考えた。阿部行蔵都立大教授の呼びかけで、超党派の人たちが集まり、区議会決議があがるように働きかけることを決めた。

—54年4月16日、講演会会場で、魚屋のおかみさんが「第五福竜丸事件で魚が売れない。魚屋は困っている。このままでは明日から店を閉めなければならない。魚商組合で原水爆禁止の署名を取り組んでいる。ぜひ署名を」と訴え、右から左までいる杉並婦団協(婦人団体協議会。今の“杉並女性団体連絡会〈杉女連〉”の前身)が水爆問題に取り組むことを異例の早さで決定した。

—4月17日(講演会の翌日)区議会が開かれ、午前中の全員協議会で魚屋のおやじさんが魚商を代表して水爆禁止を訴え、午後の本会議の審議で区議会決議が採択された。

そして5月9日には水爆禁止署名運動杉並協議会が「杉並アピール」を採択します。
 水爆禁止のために全国民が署名しましょう
 世界各国の政府と国民に訴えましょう
 人類の生命と幸福を守りましょう

いま、原発都民投票条例制定に向けて都内各地で市民団体や個人が直接請求署名活動を展開しています。都内の33の自治体にある生活者ネットワークもこの運動に参加していますが、残念なことに超党派の運動になりえていません。昨年、他会派に「原子力に頼らないエネルギー政策の確立を求める意見書」を区議会から国に提出しようと働きかけたのですが、これすら賛意が得られませんでした。

57年前の区議会では、原水爆禁止を超党派で動いたというのに、どうして今回は動かないのでしょうか。それとも「動けない」のでしょうか。他国での事件には素早く反応しても、自国の原発事故では動けない。だとすれば、政治は何のために存在するのでしょうか。誰の意思を反映するものなのでしょうか。選挙時に「国民(区民・都民)の皆さまのお声を頂戴しながら進めて行きたい」という訴えはウソになります。

東京電力の電気を使う利用者として、また電力の最大消費地の東京から遠く離れた福島や新潟に原発をお願いしている大株主・東京都の住民として、原発をどう考えるのかを決める都民投票制度を東京都につくる直接請求署名運動の意義の重要性を改めて認識した新年交流集会でした。

直接請求署名の期限2月9日まで、杉並・生活者ネットワークもおおぜいの方に語りかけていきます。
区議会議員 市橋綾子