劉暁波氏のノーベル賞受賞を祝福します

ゆっくりと、着実に進め、中国の民主化

中国の反体制作家で獄中にある劉暁波(リウ・シァオ・ポー)氏にノーベル平和賞が贈られることになりました。杉並ネット国際平和部会は受賞を祝福し、中国当局が直ちに釈放するよう希望します。

世界中の報道が批判しているように、中国当局の強圧な姿勢はそのとおりです。けれどもわれわれは、中国の民主化はゆっくりと、しかし着実に進むだろうと感じます。なぜなら日本がそうだったからです。いつか中国も普通選挙による議会制民主主義や言論の自由を持つでしょう。それは日本がそうだったように、長い時間と曲折を経て実現するものだと思います。

日本は明治の近代化で西洋の科学や芸術を導入しましたが、個人の思想や自由までは認めませんでした。明治17年まで「個人」という日本語すら存在しませんでした。自国民の自由や思想を認めない国が外国の人々の権利を認めるはずはなく、当然の結果として諸外国との衝突と戦争、そして敗戦を迎えます。

敗戦後も日本は変わろうとしませんでした。治安維持法は存続し、「政治犯」は獄中にあったままでした。8月15日の終戦から1ヵ月以上たった9月26日に哲学者の三木清が獄死します。驚いたロイターの記者が山崎内相に会うと、内相は治安維持法の存続を明言します。それが記事になるとその日のうちにマッカーサーが政治犯釈放を命令し、東久邇宮内閣は総辞職、次の内閣でやっと政治犯が釈放されたのです。

社会学者の日高六郎氏が著書の「戦後思想を考える」の冒頭にこの出来事を記しているのは、今も日本社会に高圧的な権威主義が見られるからです。戦犯だった人々が公職復帰し、公害が起こり、今も教育現場では国旗国歌の崇拝が「強制」され、「主人」「子供」「大臣」といった封建的な表記がみられ、軍事力も存在しています。戸籍も残っています。

劉暁波氏のノーベル平和賞受賞を喜び、中国当局を批判するなら、われわれは日本国内に今なお見られる抑圧的なものを解決していかなければなりません。ただ非難するのではなく、中国当局に粘り強く民主化のよさを訴えることが大切だと思います。
                 杉並ネット国際平和部会長 野口 鎮夫